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2013-08-06

岩村田の歴史

■岩村田付近縄文時代 岩村田歴史年表昭和43年浅間公民館発行より
中期猿久保西部出土。後期長土呂鷺林、南近津、立原、城、立沢、近津神社の畑より土偶頭部出土。木の葉圧痕土器長土呂から出る。
昭和43年12月15日双葉印刷。編集委員長池田米寿。編纂委員浅間公民館長市川次男。同主事柳沢迎善。岩村田史談大井信太郎。

■岩村田弥生時代 岩村田歴史年表昭和43年浅間公民館発行より
土製紡鍾車一本柳より出土。岩村田下宿、長土呂からもみの圧痕土器発見す。岩村田駅付近で竪穴式住居跡発見さる。
編纂委員小林延勝、依田文直、森泉好治、上原隆治、小川宇一、佐藤敏、角田富雄、井上行雄、出沢鬼久太、大工原真一、戸塚大吉、渡辺春吉、東城清三郎、大井左馬太、秋山吉康、
角田経治、神津政助、佐藤日助、戸塚忠太郎、中沢道太郎、高地好雄、荻原広太、秋山光男。

■岩村田古墳時代 岩村田歴史年表昭和43年浅間公民館発行より
岩村田、猿久保から土師器、須江器、石製品出土す。マリ西裏・旭町。ツボ旭町。高ツキ旭町・西浦。コシキ上の城。印字土器上ノ城。滑石製品、横カメ長土呂。大刀一本、鉄製釘ニ本
、鉄製鎌二丁 一本柳。 古墳:八日町、一本柳、下塚本、北西久保、長土呂、猿久保。北西久保より勾玉、耳輪出土。伝説:甲賀三郎と近津の森。デーランボー、健御名方尊出城。

■岩村田大化の改新 岩村田歴史年表昭和43年浅間公民館発行より
大化二年東山道開かる近津神社を祀ったと思われる。大化四年斉明天皇の時代代柵を設け蝦夷に備う、木戸在家、上木戸、卯木々根の遺名あり。白雉三年班田収授の実施赤座、垣外、
長土呂、木戸在家、菅田、岩子、八日町、砂田、大豆田など。

■岩村田の奈良時代 岩村田歴史年表 浅間公民館発行より
元亀二年大井郷を称す。春日神社、上の諏訪神社、下の諏訪神社を祀ったと思われる。近津神社東方より布目瓦が多く出土す古寺跡と思われる礎石発見さる勅願寺妙楽寺全身か。
昭和43年12月15日双葉印刷。編集委員長池田米寿。編纂委員浅間公民館長市川次男。同主事柳沢迎善。岩村田史談大井信太郎。

■平安時代の岩村田:岩村田歴史年表 浅間公民館発行より
天応元年有平景成来たと云う。 天長元年龍雲寺羽毛平に建立開基藤原義仲開山勝貞和尚。天長五年信光寺三十六坊中小平に建立開基藤原中納言景家開山広弁法印。天長六年岩村田開発
と俗に伝う開発人八人、百三十保丁、米大升七斗指上。 仁寿元年相木大夫伊勢屋敷を開き明神明社を祀る。天徳四年村上天皇第四皇子宮造りして移り住む世に王城と伝う。
天喜五年御守護一条二郎様御検地一千保丁米石六十石御調物に差上候。保安二年千保丁 米大升百六十五石差上。承安四年長土呂三名により開発と伝う。
大井鏡治郎遠光御検地千七百三十保丁米大升百七十四斗五升差上この時石並城仮普請。西念寺仏像製作さる。応保元年彰子内親王(八条院)宣下さる。仁安二年大洪水。養和元年
木曽義仲岩村田より守り固くし頼朝軍に備えんとす。平安時代住居跡一本柳より出土。

■岩村田の鎌倉時代①:岩村田歴史年表 浅間公民館発行より
文治二年八条院に大井庄年貢米未納記録あり。文治三年大井太郎正念行寺黒岩福仙房開基、翌年八条院より大井庄地頭北条時政未進貢の弁済命ぜらる。この年岩村田有町に市場始まり、
市神奉斎(現荒宿中央)。建久四年源頼朝浅間山麓狩し大井太郎狩宿に狩宿建設のため下野国より杣二人呼び寄せ。同年大井庄貢租納入期決定し翌年京都にて究済す。
同年岩村田八日市場開始。正治元年石並城縄張。建久二年大井朝光若宮八幡を下之諏訪社ニ合祀。天久二年大井朝光天神宮京都より勧請。建暦元年大井庄順徳天皇領になる。
建保元年奥州由利郡を大弐局に賜う大井朝光を嗣とす。建保二年順徳天皇撰す八雲抄に近津の森の別号をいわせの森という。建保四年小河法印忠快相模原に六字何臨の法を修む将軍
実朝是に赴き朝光従う。承久三年大井朝光五万人率い承久之変の宇治川戦に功あり。


■岩村田の鎌倉時代②:岩村田歴史年表 浅間公民館発行より
貞応二年箕輪地籍明仙寺建立。 元仁元年信福寺建立門光和尚開基し翌年大井朝光岩村田館に卒し翌年大井光長曇裕寺開基。暦仁元年大井光長将軍入洛に五十一番随兵に 同年蔦石十王堂
建立開基芦田幸安。延応元年望月源太左衛門円生坊(縁所房)建立。仁治元年大井光長将軍春日神社参拝の七番随兵に。翌年信光寺を東芝間(大堀平)に光長移す。寛元四年光長幕府
弓始の一番射手になり六年後には光永閑院内裏造営材調達この頃の五輪塔北西久保より出土。 康元元年北条時頼大井庄通過。 文永十一年大井庄亀山上皇領となる。 弘安二年大井太郎
一遍上人に帰依。翌年大井次郎京都日吉神社流鏑馬。乾元六年大井庄宇多上皇領になるもその四年後には昭堂門院所領となる。正和二年法華堂建立し、依田大井一族熊野先達。
元弘元年北条高時随行の大井光泰帰国し翌年新田義貞に従い小手指原戦。建武二年大井庄挙兵し村上信貞と戦い同年大井城落城す。


■岩村田の室町時代(岩村田歴史年表)
延元元年大井朝行甥光栄足利に仕え岩村田に住す。永徳元年福王寺建立開基村上氏。 応永五年尾張津島より祇園社勧請大井氏。二年後大井光矩大塔合戦丸子出張。応永三十二年大井持光
鎌倉管領属し常陸小栗城攻めに。永享七年芦田と大井氏対立し将軍義教が調停。翌年大井越前守持光守護方に属し禰津海野芦田氏ら関東方を降す。二年後永寿王を大井氏が安養寺で養育。
嘉吉元年結城落城し永寿王を大井氏山中かくまう。文安二年平賀氏を大井氏討ち相木・志賀・小田井・望月・芦田の城大井に降る。その三年後に永寿王は関東管領足利成氏となり岩村田
人口三万人になる。


■岩村田の戦国時代①(岩村田歴史年表)
岩村田代官依田新左衛門忠長諏訪上社御射山頭役に。翌年村上政清一万騎に大井持之敗れ甲斐に走る。多くの佐久将士奥州由利郡移住。文明二年岩村田に人口一万九千三百人、家数
七千九百三十戸、男九千三百人、女一万人、神主山伏百二人、馬千百匹、牛百匹と差出帳に記載。同年岩村田城主は甲斐にて武田氏と花取山で戦う。文明十一年大井政朝が伴野康至に
捕縛さる。二年後龍雲寺再建祥貞和尚開山するも翌年村上顕国乱入し全焼す岩村田も消失し大井氏小諸へ移るもその三年後岩村田黒岩城築城するもその二年後武田氏佐久乱入し岩村田を
領す。明応二年龍雲寺現地に移し再建天英祥貞和尚この年、岩村田人口三千戸に回復。永正十二年武田信虎龍雲寺再建。大永二年信虎岩村田律宗二寺放火し僧六十名焼死、民家消失し
十七戸残るのみ。天文六年佐久郡村上領となるが四年後に武田信虎が岩村田のみ切り取るが翌年武田信玄が湯川で村上勢を破る。天文十六年佐久は武田領となる。天文十九年村上勢が
岩村田放火し大井城主は甲府へ移るが翌年には岩村田城再建。

■岩村田の戦国時代②(岩村田歴史年表)
元亀三年龍雲寺千人法要。弘治二年岩村田は武田信豊領になり下曽根代官が小諸より管理す。永禄三年西念寺建立武田信玄開基、その三年後に住吉神社祀る。永禄十一年稲荷社勧進し
同年 信光寺再建 開山禅光法印 天正三年信光寺 六供に六房再建 開基真田 芦田氏 雄伝法印開山 六房総称し円満寺とすも 善珠院 成就院 称名院 零落後に 観音堂 円光院 正法院
大破す 後に観音堂再建。天正三年岩村田城主大井貞清長篠にて戦死。天正五年岩村田代官渡辺長門に。天正七年武田勝頼上野出兵の為岩村田へ同年十二権現を黒岩城大手に奉斎。

■岩村田の安土桃山時代(岩村田歴史年表)
天正十年依田信藩と真田昌幸が岩村田城を落とし、依田勘助代官になる。翌年岩尾城戦あり岩村田諸士出兵、依田信藩討死し子の康国領地に。天正十四年高野山蓮華定院に岩村田の
地を永代寄進す。天正十八年芦田(松平)康国領主になるも同年上州藤岡へ移封す。同年岩村田は仙石秀久の支配となる。翌年岩村田人士の多く上州藤岡に移住。文禄四年田口新海
神社神幸が岩村田通過、明治まで続く。慶長五年徳川秀忠上田城攻めに浅野長政は後詰として岩村田に陣せり。慶長七年中山道開通幅二間荒宿・横町・柳町を通る。


■岩村田の江戸時代初期(岩村田歴史年表)
慶長八年岩村田に一里塚、常木用水完成。慶長十七年猿久保開村し猿田彦神社創建。慶長十九年仙石公が岩村田に郷倉造らしむ。同年大阪之陣に岩村田より参加者あり、同年狩野探幽
来岩。元和八年仙石公上田に移封し徳川忠長領地となる。寛永八年清光寺建立開山西念寺運譽。寛永十年岩村田中山道改修道幅二間半とし此の時より荒宿から本町に移る同年に三河田、
常木、荒谷用水通水。寛永十五年岩村田に切支丹禁制高札。慶安元年人別宗門始まり二年後には参勤交代行列が初めて岩村田通過。同年千ヶ滝用水岩村田通水。寛文元年猿久保が小諸領
から甲府領になる、二年後に酒井日向小諸入部。延宝七年西尾忠成小諸入部、三年後には石川乗政が入部し天羽代官平賀陣屋。祇園社建立。元禄二年代官太田作之進に替り岩村田陣屋作る。

■岩村田の江戸時代中期(岩村田歴史年表)
元禄十四年猿久保が幕府領になる。元禄十六年内藤正友入部一万六千石二十七ヶ村 岩村田百姓三百四十三戸 同年八幡宮建立。宝永元年正友公大阪城番就任し上方に一万石領す同年
岩村田藩江戸廻米開始。正禄二年野沢村御役所設置。享保三年岩村田祇園祭出入(年貢軽減デモ)二付名主両名免職、同年野沢役所廃止し翌年岩村田藩が倹約令出す。享保六年岩村田
藩主日光祭礼奉行となる。享保十四年岩村田家数三百十四戸、伝馬屋敷二百五軒、馬百二匹。同年領主内藤家岩村田祇園祭に御輿寄進。元文六年:岩村田祇園祭出入(年貢軽減デモ)二付
名主免職。寛保元年青木昆陽が古文書調査に岩村田、翌年大満水となり同年に大町(本町)と今宿に堰完成。寛保三年岩村田寺子屋後閑玄兵衛開始。延享二年荒町堰完成。寛延元年
岩村田火消組組織 八組。安永五年岩村田民家に土蔵出来始める。天明三年上州暴徒二千三百名岩村田乱入し上田藩により鎮圧。天明五年荒町市場大町に移動。文化三年岩村田水車
盛んに。

■岩村田の江戸時代後期(岩村田歴史年表)
文化六年便便館鯉鮒碑が相生松に完成。天保十四年岩村田人口千六百三十七名、旅籠八軒。弘化元年長土呂菱池完成。文久三年長土呂角田忠行が足利尊氏像の首落とす。慶応四年
上州農民一揆が佐久乱入。同年官軍桜井常五郎が岩村田藩に米銭要求後捕縛され斬首。同年官軍岩村田通過、岩村田藩関東出兵し近藤勇捕まえる。宇都宮激戦にて二名戦死し招魂社合祀。
同年岩村田藩北越出兵。河合継之助家族捕縛し、継之助を銃撃。秋には明治と改正。

■岩村田の明治時代(岩村田歴史年表)
明治元年岩村田藩騒動勃発し翌年岩村田藩籍奉還し正誠岩村田藩知事に就任。同年岩村田藩に警察、消防を組織し、藩札発行。同年五人組と碓氷関所廃止。明治三年岩村田招魂社創建。
同年石高廃止し平民に苗字。明治四年岩村田県誕生するも同年「長野県佐久支庁」となり内藤正誠解職し出京す。同年岩村田藩上の城砲台廃し、散髪令、廃刀令出る。裁判開始。
明治五年岩村田郵便取扱所開始、学制、太陽暦。明治六年岩村田振育学校が龍雲寺に。明治八年岩村田にランプ。明治十一年岩村田に裁判所と生糸検査所と北佐久郡役所完成。
明治十四年岩村田に佐久銀行。明治十七年岩村田に秩父事件鎮定本部設置。明治二十二年岩村田町誕生七百二十一戸。同年県収税部が岩村田に設置。同年岩村田で電信事務開始。
岩村田に鉄道馬車。遊廓完成。明治三十四年岩村田に乳牛。二年後に岩村田に自転車登場。明治四十二年 岩村田起点の定期馬車 臼田 望月 小諸 御代田へ。


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プロフィール

信州佐久高原から

Author:信州佐久高原から
■神職家系.篠澤家
信州岩村田篠澤家は武田信玄より冠を拝領して、神社に奉職致しました。
佐久の駒形神社には中世の篠澤左京が神職を行った当時の棟木札が残っています。
写真は武田家から拝領した冠について記したものです。
冠は今も神宝として継承されています。

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